●2006年6月日()晴れ
6月25日(日)小雨
この日、パソコンクラブの初日。
帰宅すると、主宰者からメールが届いていた。その中に雑学
として最近のテレビ事情「パソコンとの融合」ということで、
キーワードが並んでいました。
液晶、プラズマ、HDD録画、タイムシフト、エンコード、コピーワンス
B−CAS,ビットレート、ワンセグ
6月26日(月)雨
九州は大雨。
6月27日(火)晴れ
ようやく、我が家の下水道工事が始まった。申し込んで
10年は経つ。府立図書館から予約本の連絡メールが届く。
朝からメール交信が続く。
夕方、別なパソコン教室に行く
6月28日(水)
●2006年6月24日(土)晴れ
地球深部探査船「ちきゅう」に乗船見学
福井総裁は道義的責任大です
キノコ
ダ・ヴィンチコード
サンコウチョウ
ニコンレンズ18〜200mm
【大阪港に停泊した"ちきゅう"】
6月16日(金) 地球深部探査船「ちきゅう」に乗船見学、訪問記を執筆
大変な作業の中で、マントルまで掘削
いずれ、原稿を掲載の予定です。
6月17日(土) 社保庁の村瀬長官を辞めさせたら、労組は喜ぶと言う。それにしても
国会答弁はひど過ぎる。ほかに人材はいないのだろうか。
日銀の福井総裁の村上ファンドへの投資は、内規に抵触していない
というが、それは内規そのものがおかしい。庶民を金利ゼロで痛め
つけておきながら、自分はがっぽり儲けることなど、相当、悪い体質
の持ち主である。顔は紳士面だが、内面はいただけない。
6月18日(日) 自然ウオッチングに出かけた。ネイチャークラブの方が、案内してくれた。危ないキノコの見分け方――と銘打って行われました。キノコは秋の植物と思いがちですが、6月も多いそうです。分かっているキノコは3,000種類ほどあり、実際は8,000種類ほどあるということです。
【クモタケ=赤ちゃんの小指の大きさ】
写真のキノコは「クモタケ」というキノコで、クモに寄生してクモを食べながら成長します。根っこのところに、食べつくされたクモがいました。このほか、木に寄生して木を枯らすキノコなど、たくさん見つかりました。素人は山のキノコは食べないことが一番、安全です。
驚いたのは、高校時代の山岳部の仲間K君も参加していたことです。お互い話がはずみました。
6月19日(月)季刊誌夏号の追い込み
小学校の同窓会(8月12日)案内がきた
6月20日(火)大阪市立大学学長金児暁嗣氏の講演「映画『男はつらいよ』は
なぜ日本人を魅了したか?」を聴いた。大変、面白い内容だった。
6月21日(水)税理士が指導に自宅に来てくれた。昨年、独立した若い方で、好奇心
が旺盛な方でした。
6月22日(木)水素について調べる
6月23日(金)水素の取材、ニコンの18〜200mm
ズームが入荷したと、連絡を受ける。ある客がキャンセルしたので、
早く手に入ることになった。
映画「ダ・ヴィンチコード」を吹き替え版で観ました。
サッカー、日本VSブラジル戦を見たため、
映画館では半分寝ていました。
サッカー、日本とブラジルの実力差が大きすぎる。
アジア4カ国とも決勝進出ならず、今後、アジア枠
減らす議論が噴出す心配がある。
ダ・ヴィンチコードは落胆しました。というよりも
原作も読まずに観ため、理解できなかった。
映画にするには、無理があったような気がします。
ルーブル美術館の撮影許可が初めてだという
ことですが、これもがっかりでした。
原作を読んでみます。
【レンズの威力ですが、写真加工もしております】
6月24日(土)サンコウチョウを求めて生駒に登りました。
ニコンの18〜200mmの威力を確かめることも
ありました。
サンコウチョウは生駒の暗峠近くの慈光寺の周辺
にいると、聞いたからです。
付近で野鳥の撮影をしていたシニアにお聞きすると
「見るよ、というより声を聴く」ということですが、森の中
にいるので、姿はめったに見ないそうです。
サンコウチョウの代わりに飛んでいる野鳥と
モンキクロアゲハを撮りました。
【モンキクロアゲハです】
●2006年6月16日(金)晴れ
1週間の活動メモ
本業、雑用、趣味とまたまた忙しくなってきました。大台ケ原で雨に濡れて風邪をひき、声がでにくくなっています。やはり、年ですね。前立腺の方はセーフでホッとしていますが、これからは病魔との闘いになるでしょう。
それでも、じっとしておれない性分なので、この調子が続くと思います。いつも、日記をご覧いただいている皆様も、お体だけは大事になさってください。
パソコン教室で学んだ写真加工を使って作成した大台ケ原の写真です。トリミングと超新星を配しています】
6月10日(土) NPO法人WS西日本の総会、東京の代表児玉進氏の話を聞く。
東京に続き、大阪アマチュア・アーティストクラブ発足させる
6月11日(日) 民間のパソコン教室で写真加工を学ぶ。大変、有益であった。
その時の講師が主宰するパソコンクラブに参加できることになった。
6月12日(月)岸和田の蜻蛉池公園でバラ、あじさいを見る
【とんぼ池公園のあじさいは今週〜来週が見ごろです】
6月13日(火)がんこ寿司会長の小嶋氏インタビュー
午後から大阪企業家ミュージアム主催の講演会、
パネルディスカションを聴く
6月14日(水)企業季刊誌を手伝う
ニューギニア戦地(ポートモレスビー作戦)の資料を知人に託す
、ニューギニアに出かけることになるかも。
21世紀協会の大阪ブランドのなかの文学コーナーに直木賞作家の
父も選ばれ、紹介文、写真の手配。
TVの報道記者と「格差社会」について、メールで情報の
やりとりをする。
放映後、詳細に報告します。
6月15日(木)前立腺がんの診断結果、「心配いりません」と医師から報告を受けた
企業季刊誌の取材打ち合わせ
IT技術者と懇談
6月16日(金)バイオ取材
地球深部探査船「ちきゅう」訪問記を書くため、南港に出かける
夜はパソコン教室でカレンダー作成
●2006年6月10日(土)曇り、近畿地方も入梅
村上氏逮捕に想う
フラワーウオッチング
大台ケ原登山(6月7日〜9日)―満開のシロヤシオに酔う―
6月7日(水)晴れ
大台ケ原登山に向かう。
【霧の大台ケ原、8日、正木ヶ原付近で撮影】
1日目=9時20分自宅を出発、10時西名阪・柏原ICをおりる。道の駅「当麻の家」に立ち寄る、ここから二上山に登れる。
11時、吉野の道の駅「大淀」に寄る。農産物をはじめ、郷土品もすばらしい。本葛のみ使用の「くず」購入。
11時20分出発、12時 道の駅「杉の湯 川上」に寄る。隣のレストラン「山吹」で昼食、粥定食はおいしかった。
12時40分出発、北山村へ入るトンネルの手前で大台ケ原ドライブウエイに入る。
道路工事中のため、時間制限をしており、14:00出発、今日は下見、約40分で大台ケ原ビジターセンターの駐車場に着く。
平日だが、車約50台。ビジターセンターで100円マップを購入。
今、シロヤシオ(ゴヨウツツジ)が咲いているそうですが、裏年に当たるのか、今年は少ないと言う
大台ケ原は通常コース1周約3時間かかるそうだが、シオカラ谷回りの方が楽だと聞く。
トイレは有料100円。
8日は、工事による制限時間に入る前の8時30分に来ることにした。
宿泊はホテル「かみきた」。
かつて村営だったが、閉鎖のあと昨年、民営化、1年が経過、“高野槙”の風呂はすばらしい。
料理も好評だいうだけにおいしい。
2日目=8日ホテルを7時30分スタート、8時30分、大台ケ原駐車場に着く。
朝から小雨がぱらつく。
少し体力のある方にすすめている「シオカラ谷」経由、牛石ヶ原から尾鷲辻を経て正木ヶ原、正木峠、そして大台ケ原の頂上、日出ヶ岳に登り、水場を通って、駐車場に戻った。午後1時少し前だった。
大台荘経営の食堂で昼食を取り、1時から中道を尾鷲辻まで往復、3時30分、駐車場に戻り、ビジターセンターで受付嬢に本日の概況を伝えがてら、しばらく情報交換した。
今回は霧と小雨で、寒いぐらいでした。標高差200M の山道を登るが、生駒山より楽でした。大台ケ原の写真でよく見る枯木は頂上付近と正木ヶ原で見られましたが、霧のため鮮明ではありませんでした。
カメラマン数名が三脚を持って、霧の大台ケ原を撮っていたのが印象的でした。
登山客は20名足らずでした。連休とか、晴れの休日、秋は駐車場も一杯になるそうです。
原生林の保護に環境庁は熱心に取り組んでいます。大台ケ原に人が入ったのは、約100年
前で、歴史の浅い山ですが、枯木が増え、森が衰退しています。原因は台風、酸性雨(ドライブウエイが開通して、歴然と増えたようです)、鹿の繁殖で樹皮を食い荒らしていることなど、
複合要因よるそうです。
花はシャクナゲがちょうど終わり、ゴヨウツツジ(別名シロヤシオ)が満開でした。確かにシオカラ谷のコースはたくさん咲いていました。正木ヶ原も若干、咲いていましたが、花が小さいようでした。アカヤシオもあるそうですが、それにはお目にかかれませんでした。
【ゴヨウツツジ】
ホテルへ戻ったのが午後5時でした。
3日目=9日、ホテルを11時に出発。ホテルの前の川に鯉が流れて着いて、癒してくれます。これは珍しい光景です。道路沿いには卯の花がイナバウアを演じていました。午後3時過ぎ、自宅に帰った。
【卯の花】
帰宅後、午後7時からパソコン講習会に出かけ、自分のカレンダー作りを学んだ。早速、大台ケ原の写真入りのカレンダーを作成した。
夜は、国際サッカー開幕式、ドイツークロアチア戦の前半を見て就寝。
6月6日(火):知人のTV記者と会食。
6月5日(月):午前中、執筆、夕方、お見舞い。
村上ファンドの創設者、村上世彰氏がインサイダー取引で逮捕された。画家の和田義彦氏が盗作疑惑で文部科学大臣賞を取り消された。彼らに先のホリエモン、こと堀江貴文氏に共通したものを感じる。
3人とも頭脳明晰である
エリートコースを歩んだ
村上氏は逮捕前の記者会見で「お金儲けは悪いことですか。みなさんが私をたたくのは、儲け過ぎたからでしょう?」と反問していました。
私は村上氏、堀江氏はすばらしい人物だと思っています。それは既成勢力に対してチャレンジ・スピリットをもっている点についてです。
企業でも、役所でも多くのサラリーマンはチャレンジ・スピリットを喪失、または喪失させられて、しがない人生を送っているからです。
ただ、経営者として二人を見るとき、@理念が希薄A価値判断のモノサシが損得だけで、良悪のモノサシがないことです。
村上氏が言うように、「儲ける」ことは、悪くありません。何のために儲けるかという理念がないから、世論は支持しないのです。ほんの一握りの富裕層のために錬金術を駆使している過ぎないとしか、映らないのです。トヨタが稼ぐ1兆円と村上氏が稼ぐ1兆円は異質です。
和田氏は画家ですから、先の二人とは違いますが、ただ、夢中になると善悪の判断がつかなくなる点においては同じです。金銭欲と名誉欲との違いはあっても、「欲」の世界の行為では同じです。それはきわめて人間的ではあるのですが、法律違反、つまりルール破りした時の批判は厳しいことを認識すべきです。
こういうビジネスは長続きしないということです。
6月4日(日):日本対マルタ戦をTVで観た。世界ランキング下位チームということで、日本 の圧勝と思われたが、1−0の辛勝に終わった。サッカーとは、ランキングはあまり当てにならないことが分かる。逆に、日本もブラジルに勝つチャンスは大いにありうると思って、本番を楽しみにしたい。
6月3日(土):今日は、フラワーウオッチングに参加。枚岡公園周辺の野草を観察しながら散策。約30人、大半がシニア、女性が9割。
ボランティアのスタッフの方数名が同行。よく知っていると感心する。月の3分の1、野山に出かけているそうだから、好きなんだろうと思う。
約40種類の草花を現地で教えてくれました。その中で、面白い花4種類を紹介します。
1.はじめは、「テイカカズラ」です。この花の由来が、かの藤原定家の墓にこのつるが恋焦がれて巻きわりついたので、テイカカズラと名づけられたそうです。常緑のつる植物。5,6月に直径2cmの巴状にねじれた花をつける。
【テイカカズラ】
2.次が「オカタツナミソウ」です。これが、今日のフラワーウオッチングで一番美しい花ですと、スタッフの方が教えてくれました。タツナミソウ(立浪草)に似ている。
【オカタツナミソウ】
3.ナルコユリは緑白色の花がぶら下がっている。葉の下にぶら下がっているので、良く観察しないと見逃してしまいます。
【ナルコユリ】
4.ハナイカダは、淡緑色の小さな花が葉の表面の主脈の上につくので、葉をイカダに見立てた名前だという。雌雄異株。果実は黒く熟す。今回は花が咲き終わったあとのハナイカダです。
【ハナイカダ】
●2006年6月2日(金)曇り
【庭に住みついたカエル時々、ガラガラと声を出す】
6月1日(木):検査で病院に行く。
モスキトーヘッドネットを探しているが、いまだに見つからない。養蜂家がかぶるあのネットです。夏山に行くと、虫がまとわりついて写真が撮れないから、これがあれば良いと考えた次第。
下記のコラムは『商工会6月号』の筆者の巻頭コラムです。お読みいただければ幸いです。
人生夢の如し
六十歳は未来、七十歳は今日、八十歳は過去を語ると言う。六十歳代の人はまだ夢を語る余裕があるが、八十歳を越えた人の会話は過去の思い出ばかりになる。
来年には団塊の世代が定年を迎え、二〇一五年には六十五歳以上が四人に一人の超高齢化社会になる。一九二〇年(大正九年)に比較、今は倍以上の人口である。戦後、ずっと企業定年制は五十五歳で定着、それが六十歳さらに今年、年金支給と絡めて、六十五歳までの継続雇用制度を国が決めた。年金支給年齢を七十歳に引き上げる案も浮上している。それだと年金打ち切りのようなものである。
定年が延長されても定年後はやってくる。企業や個人にも重要な問題である。寿命が延びたとはいえ、六十歳を超えると大半の人は体調に変化を覚える。大病しないまでも、体の衰えを日増しに感じるようになる。
それでも多くのサラリーマンは雇用延長を望んでいる。大半の企業が年金支給に合わせて雇用延長を実施、又は予定しているが、労働条件は大幅に下げている。同一職場での高齢者の扱いは難しい。
七十年以上、手づくりのばねを微量生産(平均受注ロット五個)して黒字経営を続けている経営者は「OB職人には技術や技能を教えないで、職人の仕事はかっこういいのだという男のダンディズムを教えてやってほしい」と、話している。単に技能継承やノウハウ提供では嘱託OBにも意欲がでない。今日を語るだけの人間になってしまう。
いつも不思議に思うのは、官僚たちが五十歳前後で辞め、第二の人生を送っていることである。優秀な彼らは、権限を持ちえた時代に培った人脈を頼って天下っているようだが、彼らが持っているノウハウ、知識を生かせる職場、例えば大学、研究所を用意すべきであろう。一方、官僚も権益だけに依存する体質は変えるべきである。私が知る元通産官僚(現経産省)は天下りを断り、自身でベンチャーを立ち上げ、官僚時代の人脈と知識を生かして活躍している。こういう人を見ていると、男のダンディズムを感じる。
いずれにしても定年後は思っている以上に長い。一番はなんと言っても健康維持である。六十歳に達したばかりの知人は、インシュリンで糖尿病と闘っているとき、がんの宣告を受け、不眠症に陥り睡眠薬を服用したため、低血糖の状態で意識不明になってしまった。
これから第二の人生を送りたいと張り切っていただけに、残念である。私自身もがんの疑いを受けた時は、虚脱状態になった覚えがある。その時、その知人が教えてくれた『死を見つめる心―ガンとたたかった十年間』(岸本英夫著、講談社文庫)が支えてくれた。死後の世界を信じない宗教学者であった岸本氏は絶望的な暗闘のなかで「苦しくても、与えられた生命を最後まで生きてゆくよりほか、人間にとって生きるべき生き方はない」と、宣告の日を出発点とすることに目覚めたそうだ。
阪神・淡路大震災で自宅が崩壊した知人から近況報告の手紙をいただいた。
―退職後は幸い時間がありますので、気の向くまま、エッセイを書いたり、ピアノを弾いたり、旅に出たりなど、在職中にはとてもできなかった日々を楽しんでおります。老後の健康を考え、毎朝、近くの山に妻と出かけています―
美しく老いることは難しいが、人生とは所詮、夢で見る一場面のようなものであろう。